りろ右衛門の  今日の “棚上げ・アカン出しっ!”


どらえもんではありません。
りろえもんの「自分の事はぜんぶ棚に上げて、好き放題ダメ出しする」コーナーです。
真に受けないでください。


◆ 稲葉さん、アンタが歌っちゃアカンッ! 『勝手にしやがれ』の巻

2004.1.25
アカンッ! そんなカッコ良く歌ったらアカンのや!!
買い物中の有線放送で、車内のラジオで、
名曲『勝手にしやがれ』のメロディーが流れてくるたび、私は憤慨した。

あの曲がなぜに“名曲”か。
それは何と言っても「フラレた男の悲壮感」をみごとに表現しているからに他ならない。
あの歌詞を見よ。
まず、あの男は稼ぎがない。
たまに何か怪しい商売で稼いできても、
すべて酒に換えて帰ってきてしまい、わずかな稼ぎさえパァにするような奴だ。

こんな“ヒモ”的存在の男性にくっつきがちなのが、
世話好きでしっかりしているようだが実は共依存的な関係で成り立っているだけの彼女。
しかし、この女性は常に自覚していた。

-----このままではいけない。
このままズルズルとこの関係を続けていては、きっといつか私はダメになってしまう。
別れなければ。

彼女はわかっているのだ。
今までにも、何度も部屋を出た。
でも、どうしても男が気になってしまう。きっとまた酒に溺れているんだろう。
捨てるか……いや、どうしても放っておけない。
どうしてアンタなんかに惚れてしまったのか……なんてバカなんだろう私。

そんな関係が何年か続いた後、
ついに彼女は決意したのである。
どうやって決意したか、それは歌われていない。
しかし、今回は本気なのだ。二度と彼の元には帰らない。彼女の決意はプラチナより固いのだ。
彼女の人物像は歌詞には描かれていないが、
その決意の固さは言葉の中からようよう見て取れる。

そして、彼女が出て行くまさに“その時”を歌った歌こそ、
この曲なのである。

男は人生最高に悲壮なのだ。
だから、日々腹筋を鍛えてそうな稲葉さんが歌ってはいけないのである。
この歌を聴いて「カッコいいわぁ〜」という声が出たら、
それは完全に失敗なのである。

つづく。

1月26日
断っておくが、世の「稼ぎのない男」を批判する気は一切ない。
ここでイメージする男は、いわゆる自堕落な日常を送っているような奴であって、
稼がんわ、身の回りの事も人任せやわ、目標もないわ、何でもええかげんやわ、
酔っぱらうと暴れるわ、わがままで子供っぽいわ、
まぁホンマにどうしようもない人間じゃのう〜って奴の事を言いたいのである。

なぜにここまで具体的な人間像が浮かび上がってくるのか。
それこそ、この歌詞の優れた点なのだ。

この詞は、彼女が出て行く場面での彼の態度と気持ちを書き上げたもの。
少ない言葉の中から彼の内面を検証してみよう。

まず、なぜ彼の寝ている時に彼女が出て行くのか。
以前から家出を決めていたのなら、普通、彼が寝ている横で荷造りしないだろう。
当てつけみたいだ。

しかし、当てつけではない。
二人の関係は、そこまで完全に破綻したものではなく、
彼女も彼を憎む気持ちにはなれないでいるのだ。
だから、たとえ彼女自身を納得させるためだけの言葉であったとしても、
「悪いことばかりじゃない」というひと言が浮かび上がってくるのである。

いや、このひと言は、
彼女が言った言葉ではなく、
彼が自分を納得させるために「彼女の気持ち」を心の中で代弁した言葉だ。
とはいえ、この気持ちは二人の間で共通した気持ちだと思う。

なぜなら、
詞全体から、
この二人はいつでも別れる事が可能な関係だという事がわかる。
それにも関わらず別れなかったのは、
両者の共依存的関係がいかに深かったかという事を示しているわけで、
けっこう相手の気持ちを分かり合っている部分があると私は想像する。

さて、
たぶん二人はこの夜、いつものように言い争いをしたのだ。
毎夜毎夜、言い争いが絶えないこの二人。

しかし、今夜の彼女はちょっと雰囲気が違う。
彼はそのことを感じとっていた。

いつもなら「うるせーんだよっ!」とか言って、彼は外に出て行ってしまうのだが、
この日は出て行くことが出来なかった。感じてしまったからだ。

-----今、オレが出て行ったら、帰った時コイツはいないだろう。
それがわからないほど、鈍感な男ではないのだな、彼は。
沢田研二の、たまに美しく歌い上げる歌声が、その感度を語っている。

だから、彼女に背中を向けてフテ寝した。いや、フテ寝のふりをした。
子供のようにスネている彼。
だが、本心は不安で泣きそうなのだ。
しかし予想通り、彼女は荷造りを始める。
やっぱり、出て行くつもりなんだ……。

それも、いつものような突発的なものではない。
もし、いつものように財布とコートだけを手にして、バタンッとドアを閉めて出て行くなら、
たぶんまた2、3日もすれば戻ってくるだろう。
今までずっとそうだったから。

だが、今日の彼女の荷造りの仕方は明らかに違っていた。
心にけじめをつけながら、ひとつひとつ鞄にモノを入れているのがわかる。
本気だ。本当に行ってしまう気だ。
思い出まで、きっちりと整理している彼女の本心を、
彼は痛いほど感じた。

さて、次のフレーズをみなさんはどう思うだろうか。
行ってしまうのなら幸せになれ、などとキザなセリフを言った尻から、
戻る気なら……と続く。
ガクッと両膝関節が折れるよね。
でもね、もしね、戻ってくるんだったらね……。
な、情けな……。

さてさて、
もしこの歌が、稲葉さんが歌うと似合うような「カッコいい男の歌」ならば、
この部分で、タイトルのひと言が登場するのが自然な流れだ。
これがもし「彼の本当に口にしたセリフ」だとしたら、である。
しかし彼は、この言葉は口にしていないのである。
口をついて出た言葉こそ、「戻る気になりゃ……」なんである。

では、タイトルの言葉はいったいなんなのか。
それは……。


2004.3.5
もしも「勝手にしやがれ」という言葉が彼の本意ならば、
次の部分、いわゆるサビの部分はおそらくこう続く。


勝手にしやがれ! どこへでも飛んで行くがいいさ
どうせオイラは気まぐれ旅ガラス
孤独な夜がお似合いなのさ
ウォウォウォー
(by 世良のマサちゃん)


だの、


どうせ愛なんて いつかは消えるもの
初めから 知っていたのさ〜
そうさオマエは 勝手にしやがれ 勝手にしやがれ
幸せの蒼い湖に 辿り着くその日まで
(by……誰やコレ?)


となるハズ。
あ! 今アナタ、首をかしげましたね。かしげましたね?
よろしい、人の言うことをウカツに信じてはいけませぬ。


それが、だ。

せめて……どうかお願いだから〜ときたもんだ。
頼むし最後にカッコぐらいつけさせて〜なぁ〜、
もうオレには何もないねんや〜。
捨てるんかぁ〜オレを捨てるんか〜。
泣くぞぉ〜泣いてもええんか〜。

……と言っている。ケンちゃんったら。
もう彼の心はキュウキュウに萎縮して、この世で一番小さい男になっているのだ。
まぁお気の毒。


彼女が出て行ったらすぐ、
ベッドからスクッと立ち上がって、カーテンの隙間から窓の外を覗く彼。
ああ〜気の小さいヤツ。

それもチラッとではない、ずう〜っと見ている。
この時の彼の心境たるや、察するに難くない。
「ほれ、もう振り向くハズだ。振り向けよ。振り向いて〜なぁ」

しかし彼女は振り向かない。
それを思い知らされた彼の頬に、
我慢していた涙がポロッとこぼれおちる。
バカな。これは雨漏りさ。我のカッコ悪さを誤魔化そうと、彼は言う。
「アバヨ」

ああ悲しいねえ辛いねえ。
長年の共依存関係を自ら断ち切り、自立していく女の後ろ姿。
そして、それを追いかけたくてたまらないのに、
男のプライドというヤツが邪魔をして、追いかけることすらできずに立ちすくむ男。
彼の心だけが、まだ自立できずに置き去りだ。

そして、聞こえもしないのに言い訳してみる。
愛に照れていただけなのに、何でわかってくれないんだよぅ〜。
バカヤロゥ〜アホ〜ボケ〜。
そう言って泣き出してしまう彼。

もちろん、これは彼自身に対する言い訳以外の何ものでもない。
彼がいかに子供っぽいか、それがこの“言い訳”をすることによって表現されている。

さらに“愛に照れていた”という言葉。
愛に照れる……これは男が“男”に縛られている、まぎれもない証拠だ。
(あ、ホモってことじゃないよ)。

彼が素直に自分をさらけ出せない理由が、
彼女への愛の形が依存心を中心に成り立ってしまう理由が、
既成の“男”という枠に囚われているというこの点にこそ、ある。

彼女と本気で対峙する気なら、本気で愛していると言えるのなら、
追いかけて行ってその腕をつかみ、「行かないでくれ」と言えよ。
「オレは本気で生きる」と言えよ。
涙を見せてしまえよ。

男である前に、人として生きてみろよ。

おっと…つい熱くなってしまった…。

とにかく、ワンマンショウってスゴイよね。
きっとラメのスーツ着た演歌歌手の写真がジャケットに写ってるレコードをかけて、
ベッドの上に立って演歌を歌いまくるんだ。
バーボン片手にコブシをきかせたワンマンショウだよ。

だって、
「派手なレコード」かけて「ワンマンショウ」なんでしょ。
演歌だ演歌。

で、結論から言いますと、
この曲の最後の最後、
「ああ〜ああ〜ああ〜あああーあーあああ〜
ああ〜ああ〜あーあーあぁ〜〜〜」
……の後に、初めて出てくるのだ。

「勝手にしやがれ! わぁ〜ん、おかあちゃぁーーーん!」

チャッチャチャ♪

……と、こういう締めになる曲なのである。
だから、聴き終わって「カッコイイ〜」と感じたなら、
その歌い方は失敗なのである。

稲葉さん、アンタが歌っちゃアカンのだ。




2004.3.6
いっつも夜中にヘラヘラ書いているもんで、ええかげんな文章で申し訳ないんですが、
どうか誤解なさらないでくださいね。

と言いますのも、上記、
“この曲を聴き終わって「カッコイイ!」という感想が発生すること”

“ダメ”なんであって、
曲の内容とか主人公の姿がダメなのではありません。
むしろこの曲、私としては「大・絶・賛!!」なのです。
っていうか、大好きな曲なんです。

だってね、
きれいで理想的で幻想のような恋愛関係を歌った曲ではなく、
きわめてリアリティのある人物像が巧みに描かれ、
その主人公が持っている痛々しいほどの“弱さ”が聴く人にジンジンと伝わってきませんか?

「勝手にしやがれ」という言葉に込められた、
どこへも持っていきようのない主人公の感情、
それを、「勝手にしやがれ」という言葉を一切出さないことで、
その言葉を出すよりも、ずっとずっと効果的に表現しているのです。

そうすることによって、
この主人公に対する同情や共感の念を、聴く人の心に生じさせるワケです。
この曲を聴いた人は、こんな情けない主人公の姿を頭に思い描き、
「わかるわかる、その気持ち……」としみじみ思うワケです。

いやぁお見事。
さすが、大物の作詞家だなぁ〜と、ひたすら感心です。

そして何より、その“どうしようもない情けなさ”を存分に表現しながら歌った沢田研二さん、
やっぱりアナタはス・テ・キ♪
色っぽいわぁ。

いやしかし、
どうしようもない情けなさ、弱さを前面に出して出しまくって、
惚れさせてしまう人は罪ですな。

人はみな、情けなくて弱い心を抱いて、
そしてそんな弱さを抱いて欲しいと願いながら、
でも、どうしようもないんだと泣きながら、
それでも毎日なんとか足を踏ん張って歩き続けているのですから。




そしてりろ右衛門のダメ出しの旅は続くのであった。
死して屍拾う者なし。
死して屍、ひろうものなし。











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