【うすくちエッセイ】


「ピンボールな人生を目指せ!!」

 「ピンボールの球のように生きたい!」 …こんなふうに私は思っている。
ぐるぐる回って捻れて転げて、障害物に当たっては乗り越え、はじかれてはじかれてもまだバンバン暴れ回る。
ちっぽけで何でもないようなゲーム板の上で、あっちへ転がり、こっちへ飛びはね…。まるで好奇心だらけのやんちゃ坊主のようにはね回っているかと思うと、一瞬のスキにふと消えてしまうピンボールの球。
そんな人生を送りたいと思う。

 人生の大抵のことは、好みの問題でかたづけられると私は考えている。
趣味や仕事も、食べ物もそう、生き方もそうだし、生死もそうだ。
世の中には、生きるのが好きな人もいれば、生きるのが嫌いで自ら死を選ぶ人もいる。
生きることが好きなのに、病気や事故で不本意に死んでしまわねばならない人もいる。
私は好みで生きることを選びたい。
「生きる」という言葉を、能動的に使いたい。
そして、自分の「好み」を実現できるという素晴らしい環境に感謝したい。
考えてみれば、人間の一生なんて、ホンットにたいしたことないのだ。
自分だって、ホンットにたいしたことない存在である。
一生かけても出来ることなど知れているし、たとえ偉大な業を成し遂げたとしても、
それが果たして本当に偉大かどうかなど個人の価値観によりけりだ。
だからこそ、出来る限りのことを思いっきりやりたい。
自分がすべきだと感じることを、「好みの問題」として実行したい。
毎日の生活や、人とのしがらみの中には、「イヤでもやらねばならぬこと」がたくさんあるものだが、
生きることそのものが「好み」なら、それに伴うあらゆることも全て「好み」のうちなのだ。
「何でこんなことやらなアカンねん」と思ったって、好きならしょうがない。
だからとにかくやる。
やってみてダメだったら、またその先へ転がって行って何かを実行する。
そこで誰かと出会い次への道が見えたなら、迷わずその道を進んで行く。
もし誰かに殴り飛ばされたら、その勢いを借りてどこかへすっ飛んで行って、その先でまた何かを見つける。
そしていつの日か、今の今まで横で笑い転げていたと思ったらスッと死んでしまうのだ。
そんな人生が送れたら理想だな、と夢見ている。
ゴンゴンバンバン、グキグキと音の鳴るような人生。
もともと音楽大好き人間だから、人生にも音は欠かせない。

 ひとつだけ思うのは、あんまり人の迷惑になるのは避けたいな…ということ。
生きてるだけでかなり迷惑はかかってるんだろうけど、わざわざ進んで迷惑のかかることを選ぶのは出来ればやめたいと思う。
なぜって、わざわざ他人にいらぬ迷惑までかけることはあんまり私、「好み」じゃないから。
みんな笑ってる方が好きだから。
ちょっと、エラソーだったかな?

                                             (’99年7月)

  エッセイインデックスページへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送