【うすくちエッセイ】


「らっきょの皮むきツアー(旅への思い)」

 “らっきょの皮を剥いて剥いて どこまでも剥いてやる……”
 こんな書き出しで始まる詩を、何年も前に書いた。(よく似たギャグが昔あったそうだが…… )

 いわゆる「日常」の中にいると、自分の中のいろんなものがコチンと固まってくる。
ちょうど、同じ姿勢でずっとパソコンに向かっていると筋肉が硬直して肩が凝るみたいに。
だから常にストレッチしておかないと、しまいには動けなくなってしまう。
 私にとって旅は、心のストレッチだ。
 自分の中でいつのまにかコチンと固まったもの、それが“観念”というヤツだ。
観念というのがこれまたやっかい。
生活するのには必要だが、それがいつ出来上がったものか、どうやって出来たものかがテンでわからない。
それが正しいかどうかなんて、もう全くもってわからない。
それゆえ、自分の観念を見直す作業というのがすっごくとってもめちゃくちゃ重要だと私は思う。
 この作業を「らっきょの皮むき」と勝手に名付けた。

 観念を見直すにはまず、表面で凝り固まっている観念を一度取り払わなければいけない。
まるで幾重もの皮を剥いていくように。
しかし、剥いたからといって、中から真実か何かが出てくるわけでもない。
まるでラッキョウのように、どこまでが皮でどこからが実(根だけど…… )か判断がつかない。
それでもとりあえず剥いてみるべきだ、という思いから、冒頭のような詩をむか〜し書いたのだ。
 一度剥いてよーく考え、よーく見直してから、また徐徐に確立してゆくのがいいと思う。
この観念を見直す作業が「らっきょの皮むき」ってわけだ。
(ちなみに、“らっきょ”はラッキョウの方言…… ですな。)

 で、この作業にもっとも適しているものこそ、旅なのである! (やっと本題…… )
 旅の非日常性こそ、ともすれば乳酸たまりまくりで筋肉痛に陥ってしまった私の観念を気持ちよ〜く叩き割ってくれる、スバラシイ行為にほかならない。
旅先での風景、出会う人々、様々な言葉、食べたことのない食べ物…… 。
何もかもが目からウロコ、新たな発見の嵐だ。
あらゆるものが新鮮で、私の脳内で神経シナプスがキュンキュン交錯する。
ああ、今の今まで“当たり前”って思っていたことのはかなさよ…… ってなもんだ。
 そういうワケで、私は自分にとっての旅を「らっきょの皮むきツアー」と呼んでいる。
 旅にもいろんなタイプがあって、近所を歩き回る近距離の旅から、海外への遠距離長期間旅行、テント担いで徹底自炊の貧乏旅行に、五つ星ホテルでゴージャスなディナーに舌鼓をうつ超リッチな旅など、同じ“旅”という言葉でくくってしまえないほどの違いがある。
日にちや距離、かけるお金、目的など、旅する人の好みや条件によって、内容はまさに千差万別。
だから、一緒に行く相手によってもガラリと変わってくるわけだ。
まったく旅ってものはやめられない。
 どんな旅もそれぞれ楽しいが、らっきょの皮むきツアーには貧乏旅行のほうが効果的だろう。
用意周到で予定通りに進む旅では、あまり“驚き”を期待しにくいからだ。
それに比べて、何が起こるかわからないスリリングな貧乏旅行は、いろんなハプニングに出合える可能性がかなり高い。
人間は切羽詰まると意識が外へ向けられる…… というか、向けざるを得なくなるから、必然的にその土地のことをより深く知ることになるわけだ。
自分で食事の場所を探したり、買い物したり、地元の人にいろいろ手助けしてもらったりすることで、人との関わりを通して土地を知り、言葉を聞き、情報を得られる。
やっぱり人に会わないと、その土地の本質に触れることは出来ない。
博物館に行っても知り得ない、ナマの文化がそこに存在するはずだ。
そんな文化のナマモノは、まったく新鮮そのものだ。
 行く先々で、今まで自分の中になかったものに出合った時、自分の感覚とまったく別のものを突きつけられた時、私のらっきょはペロッと一皮剥ける。
その皮をよ〜く見てみれば、それがいかに理不尽なものだったか、無駄なものだったか、そして自分がいかにその皮にこだわっていたか、いろんな思いが湧き起こってくるものだ。
それはプライドであったり、おごりであったり、普段は“常識”と呼んでいる狭い世界であったり、道筋の決まり切った神経ネットワークであったり…… 。
そんなものが、「感じる心」を邪魔していたんだろう。
 剥いても剥いても、まだ心は皮に包まれているかも知れない。
でもそれは、剥けた皮を見て初めてわかるのだ。
だから、とにかく剥けるかどうかやってみる。
じっとしていては、色褪せた皮の存在さえも見えないだろう。

 大人になるほど感じる心が錆びてゆくなんて、悲しい。
子供の頃とはまた違った感覚で、子供の頃以上に感じたい。
それは、一度感じ取って膨れあがったものを見つめ直し、再び透明に近づけてから感じる、まさに新しい感動。
年を重ねるほど感動が増えていくような人間になれるように、また旅に出よう。

 ちなみに超リッチな旅は、内向的な目的で行うのに適している。
例えば、恋人といちゃつきに行くのなら、とにかくお金でもなんでも使って演出を凝らし、2人の世界に入り込める旅を計画するといい。
 旅は使い分けも大切なのだ。
残念ながら私は、予算の都合上、まだオトコとの超リッチな旅は実践していない(予算の都合なんか?)。

(’00年2月)




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