【うすくちエッセイ】


「私の中の手芸」

とにかく、私は「手作り」が好きだ。
どんなものでも、手作りにこそ魅力を感じる。
そんな思いの原点は、母にある。

小学生の頃、私が学校から帰ると、家で母がいろんなことをやっていた。
ある時、玄関を入ると、台所でドンッ! ドンッ! とエラく派手な音が響いている。
見ると、母がパンの生地をこねていた。
私はさっそく手を洗い、ハート形や星形、オバケ形(?)のパンを次々に創作してオーブンに入れ、焼き立てアツアツのパンを食べた。
また冬のある日には、「今、こたつに足を入れんようにして。」と母が言う。
フトンをめくって覗いてみれば、発酵中の肉まんがそこにズラリと並んでいた。
食べ物だけではない。
ミシンで私の服やカバンを縫ってくれていたり、編み物だったり、とにかくいろんなことが進行していたのだった。
帰ってきた私は、必ずそれに参加する。
母がリボンフラワー作りに凝っていた時には、難しいバラやユリを制作する母の横で、簡単に出来るスイートピーを何本も作って部屋に飾った。
きめこみ人形を習っていた時には、母が人形を作り、私は人形が持つ小さな手毬をまかせてもらった。
何かが出来ていく過程、それがたまらなく面白かった。
夢中になれることを見つけた! そんな気がした。
まだ7、8歳の頃だったが、この時の気持ちはハッキリ覚えている。
今日は家で何が始まってるだろう…?
そう思いながらドアを開ける時の、あのワクワクした気分。
それはもはや、私の心の中に染み込んで消えることがない。
今でも手芸をやり始めようと思っただけで気分が高揚してくるのは、たぶんこのせいだ。

 10歳頃には、私の「手芸」に対する思い入れはあまりに濃くなっていた。
自分の手で何かを生み出す、それこそが自分の存在を証明できる手だてであって、
手芸はそのもっとも最たるものだという認識が私の中に生まれていたのだ。
この頃、よくカゼで小学校を休んだものだったが、
熱が下がり出すやいなやゴソゴソと布団から抜けだし、
フェルト人形を作り始めるのが私の決まりだった。
その時の私は、学校にも行かずに一日中寝込んでいたことが、
なんだか不安でたまらなかった。
今日の自分の存在意義は何だったんだろう、何か意味はあったんだろうか、
そんな思いばかりが頭を巡り、その不安を消したいがために、
どうしてもひとつの作品を作り上げなければいられなかったのだ。
なぜこんなに、自分の存在を不確かに思っていたのかはよくわからないが、
「今日、私が生きていた意味」を残すために、私は手芸を選んだのだった。

現在の私は、とにかく純粋な「手芸大好き人間」だ。
もちろん、幼い頃のあのワクワクする気持ちも、「存在証明」としての思いも、
すべてがその「好き」の中に含まれている。
とはいえ、時間に追われる日々の中で、なかなか実際に手芸をすることもなく、
特別な勉強や、習いに行く…なんてしたことがないままここまで来てしまった私だから、
技術や知識はまったくシロウト並。
でも「情熱」なら、かなり自信がある。
私の中の手芸を、これからもっともっと育てたい。
そしてできることなら、もっともっと外の世界へ広げて行きたい。
これが、今の私の願いだ。

                                    (’98年12月)

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