あたしゃベッドは買わないよ

〜哲学の届かない部分〜


2004.3.15

私は「ふとん派」だ。
ベッドは勝手にバネが飛び跳ねそうで恐ろしい。
ボヨヨ〜ンとなるのが怖いのではない。
「ポルターガイスト=ベッドが跳ねる」
というイメージが、強烈に頭にこびりついているからだ。

幼い時、テレビで「エクソシスト」というホラー映画をやっていた。
家族が観ていたので、夜中までなんとなく一緒に観ていた。
そのせいである。

映画の中で次々に起こる怪奇現象。
ベッドが勝手に跳ね上がるシーンに、なぜだかひどく衝撃を受けた。
その夜、ふとんに潜り込んでしみじみ思った。
「ふとんは跳ねへんやろ〜バネもないし。ベッドと違うてホンマ良かったわぁ。」
一生、ベッドでは寝ない。そう固く決意した。

ふとんに入った時、たまたま「ルネサンス」というプログレバンドのレコードがかかっていた。
和やかな長調の曲なのに、私の中では「怪奇な曲」として定着してしまった。

やがて眠りにおちたのだが、急に目が覚めた。
時計を見ると2時ちょうど。
2時という時間が「怪奇な時間」に思えた。

次の日の夜、ホラー映画のことなんか忘れていたつもりなのに、
なぜか夜中にハッと目が覚めた。
2時だった。
2時に目が覚める事態が、私には「ポルターガイスト」だった。
一生、ホラー映画は観ない。そう固く決意した。


さてさて、では私、今まで一度もベッドで寝たことがないかっていうと、
んなワケない。
何回寝たかわからん。
しかし、ベッドを購入したことは一度たりともない。

私の哲学は、
「一生、ベッドでは寝ない」から「一生、ベッドは買わない」に変化した。

なんでだ! なんで変わったんだ!?



2004.3.20

現代のこの日本という環境の中で、「一生ベッドでは寝ない」という決意を貫くのは至難の業だ。
イヤでもベッドで寝ざるを得ない時がやってくる。

まず、「ベッドでは寝ない」を貫くのは、
“旅行が好き”という自分の趣向の邪魔になる。
我が人生経験から優先させるべき点を学んだため、
決意より趣向を選んでベッドで寝た。

職業についてからは、ベッドで寝ざるを得ない状況が急増。
旅行ライターをしていた時は、年の3分の1ほどを出張先で過ごした。
エクソシストがどーたらこーたら、そんな場合ではないのでどんどん寝た。

自分の中にどんな感情が湧き、
自分がどんな環境に置かれ、
自分が何を選び取って生きていくべきなのか、
人生の中で学び考えながら人間は生きている。

こうして私はベッドで寝るようになったのだ。

しかし、
どうしてもベッドを買おうとは思えないのはなぜか。

ここが、人間の難しいところだ。

人間には、哲学の届かない部分がある。
それが「ベッド→エクソシスト」という結びつきだ。
これが、私にはどうしても外せない。
「ルネサンスの曲→怪奇」というものも、感覚的なものとして焼き付いてしまったまま。
二十数年もたった今でも、薄れることがないのである。

トラウマ……いわゆる心的外傷。
ベッドを買おうと思えないのは、そのひとつである。


こんなこと、もうとっくに「どうでもいい事」として捉えているつもりである、私は。
でも怖い。なんか怖い気がする。
自分の哲学と一緒には、どうしても進行してくれない。

でも、こんなしょうもない事だからまったくどーってことない。
ベッドを買わなければそれで済む。

幼児の頃に出合ったのが「ホラー映画」なんてモノではなくて、
もしも親からの酷い言葉や、周りの人への不信感だったりしたら、
今ごろいったい何が自分の中に残っているんだろう。

それを想像する時、なんとも言えず胸が痛くなる。

つづく。











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