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【1】  2001年 3月8日〜5月19日
     辛さ・ブラッドオレンジ・和食・タマネギ・タケノコ・お茶・温泉などの話題

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       常時更新、連続エッセイ

 人生、食べるが勝ち! 

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 人間性は肉だ!……と言われても返事に困るだろうが、最近、私は本気でそう思うのだ。

なんとなくイメージとして、人間には「身体」と「精神」があるような気がしていた。
この2つが複雑に絡み合って、人間性があるのだと。
しかし考えてみれば、精神の発生源は身体にほかならない。
脳そのものも肉であるし、脳をコントロールしている分泌物も身体の一部だ。
筋肉、内臓、血液、神経、シナプスを駆けめぐる電流まで、すべてが身体であり、同時に精神なのである。
つまり両者は同一で、それを「人間性」と呼ぶ。
身体とは、原子の集まりで合成されているモノであって、これをあえて“肉”と言うならば、肉こそ精神。
従って、
人間性は肉だ。生きるとは肉を維持することだ。
……とまあ、こうなるワケである。
「肉を維持」する、つまり肉そのものを作り出す成分となるのが、ほかならぬ「日々の食べ物」であるからして、
ま、結論は

生きるとは食らうことだ!!

これが、りろ流人生哲学であるハッハッハ。

食を軽んじる者、人生を軽んじる者なり。
簡潔に言うと、
短い人生、食べなきゃ損ソン!ってこと。
誰ぇ〜? 食い意地はってるだけやんって言ったのは……?!

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2001年 3月8日

「マイ・七味」のブームはもう過ぎたのだろうか。
ストレス社会を象徴する現象だが、暴力的な刺激よりよっぽどいい。
私自身、マイ七味こそ持ち歩いていないが、かなりの辛いモノ好きである。
ある人が「私は辛いモノ好きだ」と言った時、「じゃあ、佃煮とか好きなん?」って聞かれたらしい。
関東では、刺激系を「辛い」、塩分については「しょっぱい」と言うが、
関西ではどちらも「辛い」と表現するせいだろう、両者を混同している人がけっこう多いのだ。
よくよく考えてみれば、刺激系の辛さだけでも多種多様なのに、
そこへまだ塩分の辛さまで含めて、すべてを「辛い」のひとことで済まそうってのは、
あまりにも大ざっぱな態度ではないか。私の性格よりヒドイぞ。
「辛い」という言葉が意味する中身を詳しく検討してみると、これがじつにじつに幅広い。
たぶん、自分が考えている以上に広いはずだ。
その多様性を、私たちは果たしてどこまで認識しているのだろうか?
普段から「辛さ」に神経を尖らせてることで、味の世界をググッと広げられるに違いない。

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2001年 3月9日

刺激系の「辛い」には、とうがらし、ワサビ、からし、コショウを代表格として、
ショウガ、ネギなどの辛み、それにハッカ系のスーッとする刺激までも含まれる。
そして、そのひとつずつの中にもまた、なんともたくさんの味わいの種類がある。
例えば、とうがらし。
日本の一味は、カッ!と一気に口の中が熱くなる、とてもスピード感のある辛さだ。
じつにストレートで、あっさりしている。
料理に添えれば、心地いい刺激感のみを与え、料理の味をまったく邪魔しない。
素材を生かすには、ピッタリの食材である。
しかし、韓国の一味はまるで性格が違う。
見た目はソックリだが、刺激としてはすごくマイルド。
料理が真っ赤に染まるほど入れても、辛さ自体はそんなにキツくないのだ。
そのかわりというのか、とても香りがいい。
料理にたっぷり使うことで、ひとつの味付けにもなり、深みを出してくれるのである。
キムチなど食べれば、とうがらし自身の味わいをジュワッと実感するのだ。
そこで……かどうか知らんが、日本人は知恵をしぼって「七味」を作った。
ストレートな一味を使い、料理に刺激と香りと味わいを添えるモノに仕立て上げたのだ。
もっと世界中のとうがらしに目を向けると、またまた面白い。
どこまでも続きそうなので、また明日!

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2001年 3月10日

世界中のあちこちで、いろんなチリ類が大活躍している。
ホットな刺激で知られているメキシコの「ハラペーニョ」や、
ゴロンと丸いスペインの「ニョーラ」、よく輪切りにして使う「グリーンチリ」など、
その形態も色も楽しいほどいっぱいある。
人々は昔から、その「辛さ」を器用に使い分け、独自の料理をあみ出してきたのだ。
香りや刺激の度合いによって、それを具にするか、調味料にするか、
先人たちはたぶん、かなり綿密に嗅ぎ分け、使い分けてきたのではないだろうか。
そう思うと、人間というのはよほど“刺激好き”らしい。
どんな刺激が心地いいか検討しながら、「辛さ」をこんなにも積極的に取り込んできたのだから。
では、ワサビ系の辛さはどうなのだろうか?
あの、鼻の奥にツーンとくる「辛さ」は、チリ系の刺激とは明らかに違う。
もう「ツーンッ!!」としか書き表せないような、あの感覚。
あれは何なんだろう??
からしの「息の止まる」辛さも、あまりにも個性的な感覚ではないか。
あれと共通する刺激って、何だろう……?
考えておこう。
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2001年 3月11日

ネギの辛さを実感したのは、カゼをひいたある日のことだ。
“おばあちゃんの知恵袋”みたいなもので、ネギを使ったカゼの妙薬があるが、
これがまたよく効くのである。
ご存じない人のため、作り方を記しておこう。

材料……白ネギ、味噌、ショウガ、湯

1・刻んだ白ネギを小鉢に一杯ほど用意する。
2・そこへショウガのすり下ろしをたっぷり入れ、味噌を加えて湯で溶く。
3・混ぜて食べる。

ま、これだけなんだけども、これがめちゃくちゃに辛い!
湯を入れるだけで、火を通さないので、ネギとショウガの辛みがそのままなのだ。
私はその時、どうしてもカゼを治したいという一心で、ネギを思いっきりたくさん刻んで小鉢に詰め込んだ。
サクサクサクサク食べるうち、なんか口の奥の方がカーーーッとなってきたかと思うと、
鼻を突き刺すような刺激……ほとんど「痛み」と呼べるほどのものが襲ってきたのだ!
ショウガの粘膜を熱するような辛みが追い打ちをかけ、
私はもうそれ以上食べ続けられなくなってしまった。
ネギがあれほど辛いものとは……!
こんなものを大量に体内に取り込めば、すぐさま発汗してカゼもたちまち出ていくってもんだ。
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2001年 3月15日

いきなり数日間、更新が滞ってしまったが、
じつは新入りのパソコンに代わったのであります。
なんといっても、そろそろ春。気分も新たに参りましょう!

さてさて、考えるほどに、「辛さ」がいかに日常欠かせないものかを実感するのではあるが、
その度合いがまた難しい。
「激辛ブーム」もあったが、辛ければ辛いほどいいってもんでもない。
刺激が強すぎれば、ほかの味覚が負けてしまうし、
香りの強いとうがらしなどは、加えれば加えるほど「とうがらし味」になる。
一生懸命になって微妙な味付けをしても、全部とうがらし味にしちゃあ、
作った人に失礼ってもんだ。
それとひとつ気掛かりなのは、刺激に対する慣れ。
刺激に慣れるのはあまりに素早く、
ヒェーーーッ!!と思うほどの辛さも、2、3度で平気になってしまう。
あんまり強い刺激を受けすぎると、味覚そのものが鈍ってしまうのではないかと不安になる。
どの程度で、どうなるのだろう?
そういうデータなどはないのだろうか?
ご存知の方、ぜひ教えてください。

慣れというと、ミント系の辛さに対する慣れも素早い。
一番、危機感を抱いたのはマウスウォッシュだ。
これについてはまた明日。
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2001年 3月16日

口に含んでブクブクすれば、ミントの爽快感が広がりさわやか〜!
……と、マウスウォッシュのとりこになってはや数年。
日に日にミントの刺激に慣れ、爽快感が鈍くなり、ついに「ストロング」なミントを常用するようになった。
ストロングなヤツは最初、かなり舌を突き刺す攻撃的な様相をあらわしていたが、
3日目ぐらいにはもう「ヘヘンッ!」てなもんになった。ざまーみろ。
こうなってしまえば、ストロング以外なんてヘナチョコ野郎でしかない。
しかし、ストロングにも慣れてしまったら、もうこれ以上はないのだ。
カレーみたいに、10倍、20倍……なんて売ってない。
ヤバイ。
私は危機感を抱いた。
これはキリがないぞ。
そこで、一気に「ピリピリ感がない」をウリにする「マイルドなヤツ」に代えてみたのだ。
代えた時は、なんとも頼りない、不甲斐ない感覚にとらわれたが、
これもまた、慣れればどうってことないのだった。
刺激というものには、すぐに慣れて上を上を求める、危険な誘惑がつきまとう。
日常生活や、人生にも言えることかも知れない。
大切な味蕾や味覚を守るため、激辛好きもほどほどにしよう。
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2001年 3月17日

言い訳のようだが、このコーナーに“まとまり”をご期待なさらないでクダサイね。
うねうねうねってダラダラ続く、うねうねダラダラエッセイ(そのままやん!)なのだ。

さて、激辛といえばカレー。
だいぶん前だが、あるカレー自慢の店で、「当店で一番辛いカレー」を注文した。
そしたら店員さん、すぐに承諾してくれないのだ。
「コレはかなり辛いですよ。すごく辛いんですよ!」と繰り返し、
まるで「あなたはわかってない。悪いこと言わんから考え直しなさい。今ならまだ出直せるわよ」とでも言いたげなのだ。
いちおう私も当時、二十歳ぐらいのうら若き乙女♪だったので、
むこうもそれなりに気を遣ってくれてんだか、「アホかコイツ」と思われてんだか知らんが。
<食べるっちゅーたら食べるのー!>と心の中で叫びつつ、
「あ、あの、それでいいです……」とつぶやくと、店員さんはシブシブ私の主張を通してくれた。
ホッと胸を撫で下ろす私。
考えてみれば、レストランでメニューのオーダーが通るのって、ごく普通のことやんか。
やがて運ばれてきたカレー、本当に激辛だった。
店員さんの心配も、やさしい親心だったようだ。
カレーの辛さはとうがらし系だが、この系統の刺激に対し、身体がどう反応するかみなさんご存じだろうか?
あるレベルを超えると、鼻の血管が収縮する。
鼻の頭がみるみる青くなってくるのだ。
自分でも血の気が引いているのを感じる。
実際、手で触ってみると、冷たい。
冷たいのに、玉のような汗をかく。熱いのか冷や汗なのか、よくわからない。
次に、唇の両端がたまらなくヒリヒリしてくる。
スプーンは小さめを使うのがポイントだと気付く。
ヒリヒリしている箇所にスプーンが擦れると、いっそうヒリヒリするからだ。
そして、胃が熱くなる。重傷の場合は、ものすごく胃が重くなる。
熱い鉄を飲み込んでしまったかのようだ。
この時点で、ものすごく後悔する場合もある。
もっとヒドイと、もっと下まで……つまり後々の行程までヒリヒリするらしい。
私はそこまで重傷になった経験はないし、そこまでやろうとは思わないけどさ。
とにかく、「当店で一番辛いカレー」はたいらげた。
征服したぞ。
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2001年 3月18日

「征服」と言ったが、カレーを食べたぐらいで、なんで征服感が湧き起こるのか?
これも「辛さ」が人を惹きつける理由のひとつかも知れない。
「辛さに挑戦!」という言い方をすることから考えると、辛さは“敵”になり得るものなのだと言える。
基本的に「心地いい刺激」の度合いを超えてしまえば、辛いモノを食べるというのは“困難なこと”なのである。
激辛を求める気持ちの中には、
敵に立ち向かい、困難なことを越えてゆく達成感を得たい、という欲求も含まれているのではないだろうか。
そう思って世の中を見回すと、激辛好きの人が自らの激辛耐久レベルを人に語る時、
必ず「自慢話」になっている。
あまり、恥ずかしそうにうつむきながら「じ、じつは僕、辛いものイケルんですよ……。」なんて言う場面を見たことない。
「いかに辛いモノを食することが出来るか」は、ひとつの自信にもなる得る事柄なのだ。
もし自分に自信が持てないことで悩んでいる人がいるなら、
激辛カレーを食べる訓練を積んでみる、というのはどうだろう。
10倍、20倍と数値を上げてゆくほどに、非常にわかりやすい達成感に包まれてゆくに違いない。
そういう心理療法ってないのだろうか?
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2001年 3月19日

カレーで思い出した。あるカレー専門店へ取材に行った時のこと。
「ウチの店は、タマネギを何時間も炒めて、独自に配合したスパイスを使う」という説明の後、
「どうせアンタら作る時、カレールーを割って入れてるんやろ」とおっしゃられるのでござる。
「どうせ」って何よドウセって?!えー?!
初対面なのに、いきなり「どうせ」とは、あまりに失礼でないかい?
うちでは当時、かなりカレー作りに凝っていて、
スパイスの独自配合や、タマネギの1時間炒めはもちろん、
マンゴーチャツネやら赤ワインやらいろいろ入れたり、
イギリスのカレーペーストやら、タイのレッド・イエロー・グリーンカレーそれぞれで辛さ調節してみたり、
日夜研究に励んでいた頃だったのだ。
ムッカ〜。
客のことを「どうせコイツら」なんて思いながら料理を作ってる店なんて、基本理念がなってない。
料理は気持ちが正直に表れる、じつにコワイものなのだ。
食べてみたが、やっぱりおいしいとは感じられなかった。
味覚は気持ちなのさ。
しかし思い起こせば、かつて食のことで「どうせ」と言われたことがけっこうあるのだ。
--私の顔が悪いのかなぁ……。なんて悩んだりもした。
でも結局は、どうやら「年齢」が原因らしいのだった。
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2001年 3月20日

というのも、しばらく話しをして私の事を知ってから「どうせ……」と言われるのではなく、
会ってイキナリそういう言葉が相手の方から発せられるのだ。
それが20代前半の頃によくあったのだが、最近はめったにない。
ということは、やっぱりきっと年のせいだ。
私もフケたんだわ。
年齢で判断されている明らかな例が、
「若い人達は(どうせ)こんな“和食”なんて好きじゃないでしょうがね」っていう言葉だ。
若くたって日本人だ。日本人が何よりも慣れ親しんでいるはずの和食を指して、
「こんなもんキライに決まってるでしょ」って言い切るのは、ちょっとヘンでないか??
そりゃぁまあ、保育園児とかが「ボクは茶懐石が何より好きでちゅ!」とか言ったら少々不信に感じるかもしれん。
しかし、20年も和食を食べてきた人間なのだ、和食が好きでもごく自然ではないか?
好きだと言ってもまだ、「まー、もっと年とったら和食の良さもわかるよ」なんて言われてしまうイキオイなのだから、
どう返事していいのかようわからん。
よほど私の受け答え方が悪いのか……などと、本当に思い悩んだのだが、
冷静に、客観的に考えてみると、年齢に対する先入観としか思えない場合がほとんどだった。
まあもちろん、年齢とともに「酢の物」だとか「揚げと小松菜煮」とか「おから」とか、
そういうものが無性に恋しくなったりするのは事実なんだけれども。
しかし、味覚というのは経験の積み重ねによって培われるものなのである。
食べることによって、自分の中に引き出しが増えてゆく。
だから年齢よりもむしろ、今まで何を食べてきたか、普段何を食べているか、
そして、味に興味あるかどうかこそが重要なのだ。
50歳の人でも、50年間ずっとハンバーガーだけを食べ続けて生きてきたとしたら、
やっぱり和食を「好き」と思うことなど出来ないもんね。知らないんだから。
……でも最近、めっきり「どうせ」って言われなくなったってことは、
「その年齢なら和食も好きだろう」って思われてるっちゅーことよね……。
ああ、やっぱり私、フケたんやわ〜。
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2001年 3月22日

しかしまぁ、考えてみると、和食を飛躍的に好きになった時期というのがある。
それは高校生の時。
同居していた祖母が亡くなり、ウチの家では法事続きとなった。
そのたびに、京料理店から精進料理をとったり、料亭へ食事に行ったりしたのだが、
よく似た献立、同じような素材にもかかわらず、店によってホントいろいろ違うもんだなぁ……としみじみ思った。
京料理はとくに薄味なので、料理人さんが素材をどのように生かそうとしているのかがわかりやすいのだ。
いろいろ食べ比べて、急激に興味がムックリブクブク湧いてきた。
作る人の考え方とか、センスがあらわになりやすいのが和食だ。
家庭料理でもそう。和食を作れば、性格や経験がバレる。
作り始めの頃というのは、イタリアンあたりから入ると安心だ。
フランス料理のフルコースみたいなものでも、「なんとなくそんな感じ」になら出来る。
だが和食はそうはいかない。
懐石料理など、「なんとなく」では形にもならない。
もちろんジャンルにかかわらず、極めようとすればどれもあまりに奥深いのは同じだ。
しかし、たいていのものには、初心者なりにごまかす方法という“逃げ道”がどこかにある。
和食はそれがない。
というのも、和食は「マイナス志向」だからである。
悲観的という意味ではもちろんなくて、「引いていく考え方」だ。
フランス料理はソースが命と言うが、ソースは「プラス志向」、つまり足していく料理法。
メインの素材にどんな味を合わせていくか、そこに料理人のセンスが表れる。
和食は、そぎ落とせるものを見つけ出して、素材の旨みをいかに際立たせるかに全てがかかっている。
ごまかしは一切ナシなのだ。
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2001年 3月25日

ユニバーサルスタジオ・ジャパンに行ってきたーーー!
おいおい、全然関係ないやないかい!……とお思いのみなさん、
そうです、関係ありません。
どっかに書きたかったんやも〜ん!!
でも、このコーナーに書くからには、食の話題でなければ……。
そうですねぇ、園内でつまみ食いしたパン類の話なんかいかがでしょう。

ずーっと前にディズニーランドで「チュロス」を食べてから、チュロスファンになった。
そう、あの星形に絞り出した、長細〜いカリッとしたアレだ。
その時のものはサックリしていて、中はわりと柔らかく、万人ウケしそうなタイプだった。
ユニバーサルスタジオ・ジャパンで食べたのは、外側のサクサク感がすごく強調されていて、
フライの衣みたいなカスが膝にポロポロ落ちる。
中身はかなりネッチリ感が強く、サクサクとネッチリのギャップがなかなか良かった。
ちなみにここでは「チュリトス」という名で売られていた。
前に、ミ○タードーナツで出合ったのは「チュロ」という名。
どれが本場の発音に近いのだろう??
ミ○タードーナツのものは、生地自体がかなり堅くて、パンっぽくはなかった。
噛みごたえがあるというのか……。
それぞれ、生地の作り方がだいぶん違うように思えるが、
そもそもはどういうものなのか?知りたい。
もうひとつ、「プレッツェル」も食べてきた。
これはベーグルの食感に似た生地で、よりいっそう粘りがある。
練って練って練りまくったようなパンだ。
ベーグルは一度生地を茹でることであの独特の食感が生まれるようだが、
プレッツェルはどうやって作るのだろう。知りたい。
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2001年 3月26日

カレーパンも食べてきた(食べまくり!)。
ここで皆さんにお願いです。
ユニバーサルスタジオ・ジャパンの出店で売っているカレーパンの中身は、
どれくらいの辛さに感じますか?教えて下さい。
…というのも、辛さについて書いてきた中で、
辛さの基準…つまり平均的な辛さ感覚というのはいったいどのぐらいなのか、
興味が湧いてきたのだ。
どれくらい、と言われても、表しようがないけれども、
あのカレーパンはなかなか微妙な線をいってたと思うのだ。
けっこうピリリと効いていたので、辛さに弱い人ならちょっとどうかな……ってとこだが、
辛口とまで言えるかどうか、判断つきかねるのだ。
カレーパン好きの私の経験から言うと、
よく売っているものから比べるとかなり辛めで、「辛口カレーパン」と称して売ってるものにほぼ匹敵する。
といってももちろん、激辛などとはほど遠い、ちょっとしたアクセントぐらいの刺激だ。
あれは果たして、万人ウケするレベルなのか??
少なくとも、ユニバーサルスタジオ・ジャパンの企画に携わっている人たちは、
あのカレーの辛さを一般的と見なしたわけだろう。
とすれば、アレを辛口と呼ぶ気はないのだろうか。
どの辺りから「辛口」だと思うレベルになるのかなぁ。
なんか、独り言みたいになってきたので、今日はおしまいね。
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2001年 3月28日

ブラッドオレンジを手に入れた!!
もちろんフレッシュのものよ。
探し求めていたのだ、コレを。
初めてブラッドオレンジジュースを飲んだのは、イタリア料理祭りみたいなイベントの時だった。
どう見てもトマトジュースの風貌なのだが、なんか妙においしそうに思え、
思わず買ってみたのが馴れ初めである。
一口飲んで、もう一目惚れならぬ、一口惚れだわさ。
濃い!香りも味も濃い!!なんとコクのあるオレンジだろう。
しかしその後、なかなかそのジュースにも、もちろんだがナマのフルーツにもお目に掛かることが出来ず、やきもきしていた。
だからしばらくしてイタリアへ旅行した時、なにがなんでもナマのブラッドオレンジを買うのだ!と意気込んで出かけたのだ。
いろいろ見て歩き、町の果物店の気のいいおじさんにもつたない英語で尋ねたのだが、
どうも時期がはずれていたらしく、結局は出合えないまま、後ろ髪を引かれつつ帰国した。
ジュースはぬかりなく、ごっそり買い込んで帰ったけどね。
それが今、ついに目の前に登場した!!
まぁ見てください、皆さん。
この素晴らしく深い赤……というより、紫色の果実を。


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2001年 4月1日

今日はエイプリルフールだが、決してウソは書かない。
えー、ブラッドオレンジ話の途中だったのだが、仕事に追われて更新できなかった。
これを手に入れたのは、取材先の地中海料理のお店。
こういう幸せに巡り合うと、つくづくこの仕事してて良かったなぁ〜なんて思う。
普段はいろいろグチッてもいるけどね。
その店というのは、イタリアン業界ではとても有名なシェフが腕を振るうところで、
本場の食材やワインなども独自のルートで仕入れているらしく、
おかげさまでめでたくも我が念願の果物に出合えた次第である。
おまけに、値引きまでしてくださった。
あぁ、イイ人だぁ〜。
家に帰ってカバンのファスナーを開けると、フォワァァァ〜〜〜ッとオレンジの香りが飛び出てきた。
ん〜、ブラッドオレンジ特有の、濃い香りだ。
何て表現するといいのか……一般的なオレンジにちょっとマンゴーのような甘ったるさを加え、
少々の苦みを感じさせるような、南国らしい独特の濃厚な匂いなのだ。
さっそく記念撮影して、食べてみる。
皮をむいている時に匂い立つのが、また幸せ。
表皮はかなり分厚く、そう易々とはむけない。
ちょっとずつむいていくうち、薄皮を通して中身の色が見え、その濃さに目を見はる。
そして薄皮もむいてみると、おおーーーっ!
思わず感嘆の声が!!
そうよ! この紫なのよ!! これよコレ!
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2001年 4月4日

この色もやはり、もともとは普通の「オレンジ色」で、熟してくるとだんだん紫がかってくるようだ。
上の写真は、もう充分に熟した色。
熟していく間のグラデーションもなかなか美しい。
そして味は……んん〜この味わい、この香りって感じだ。
ジュースよりかなり柑橘系の香りが強く、
やっぱりフレッシュフルーツだけあって、すごくさわやかな感覚。
甘みも濃く、酸味は少ない。とてもまろやか。
香りと一緒で、南国フルーツ独特の甘ったるい感じも心地いい。
キュンとくるすっぱさがないのが、普通のオレンジとは違うところかな。
外皮をポプリにしてみようと、ただ今乾燥中。
ブラッドオレンジをまだ試されてない方、見つけたらぜひ味わっていただきたい。
トマトジュースだと思って、お見逃しのないよう!
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2001年 4月5日

えーっとそうそう、和食の話が思いっきり中途半端になってるのだった。
USJに行って浮かれていたからだ。
スンマヘン。
「USJについての別コーナーを」というリクエストをいただきましたので、
さっそくちょっと感想など書いてみました!
おヒマなら寄ってってぇ〜♪

U S J お役立たない情報コーナー!!」
  ↑クリックしてね。
リクエスト、まことにありがとうございました

では、ちょっと和食の続きを。
あ、いちおう前の記述で誤解なきよう書いておくが、
和食が難しくて洋食はカンタン……なんて意味では決してないので、よろしく。
あくまでも“ド初心者”が料理した場合に、和食の方がごまかしにくいのではないか、というお話。

さてみなさん、「京料理」と聞いてどんなものをイメージされるだろうか?
薄味? 見た目へのこだわり? 量が少なくて値段が高い?
京料理店へ取材に行くとき、料理の特徴など聞くのがとても難しい。
「京料理とはそもそもこうだから」とか、「これが基本だから」というものがハッキリなく、
質問もし難いのだ。
ある料理人さんは、「京料理なんていうジャンルはない」とおっしゃった。
「京都で作る和食はぜんぶ京料理や」と。
確かにそうだ。非常に合点がいった。
京料理とは結局、背景なのではないか、と私は思う。
この地の状況に合わせて出来てきたもの、育ってきたもの。
客人の多かった歴史があって、家庭料理とはまた別に発展したもの。
いわば、来客用の郷土料理ってとこか。
「ちょっとマニアな京都案内」コーナーの
21.京料理は楽しまなアカン! にもちょっと書いてる。
なんか今日、コーナーの宣伝ばっかりになってしまった……。
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2001年 4月13日

いやぁ、春ですなあ。どこもかしこも春、春、春!
春はなんともいい気分。
食物の旬がなくなってきたと言われる現代でも、春を知らせるものはたくさんある。
みなさんは何を思い出されるだろうか?
蕗のとう、タラの芽、ツクシなどの山菜がスーパーに並び始めると、
ひとこと「春到来!」って宣言したくなる。
そして筍。
来週、生まれて初めての筍掘りに連れて行ってもらう予定なのだ!
エッヘッヘ〜楽しみ!!
その報告は後日。乞うご期待!

とても身近で庶民的な春の楽しみが、新キャベツや新タマネギだ。
新キャベツとベーコンをさっと強火で炒めた、あの美味さ!
コツは、油をあまり節約しすぎず、ベーコンをしっかり炒めてからキャベツを入れ、
塩少々とコショウたっぷりとを加えてチャチャッとフライパンを煽ったら、すぐ皿に盛る。
瑞々しいまでの青い色と、サクサクッとした歯ごたえ。
まさに春だけの楽しみだ。
新タマネギも良い。
あのペッタンコで真っ白いタマネギ、実は「愛知白」というひとつの品種らしい。
「新タマネギ」というから、あれがだんだん「古タマネギ」になっていくのかと思ったが、
よく考えると、その途中らしきものを見かけたことがない。
まるで「進化論」の疑問点のようだ。
……と思って調べてみたら、どうやらそういう品種らしきことが判明した。
新タマネギは「ガラスタマネギのカツオブシがけ」がオツだ。
薄く薄くスライスして、カツオブシと醤油をかけて和えるだけ。
なんとも独特の甘みがウマイ。
ちょっとぬめりなどもあって、そこもいい。おかげで切りにくいけど。
そういえば最近、アメリカから輸入されたホワイトタマネギという代物が出回っている。
もちろん買った。新しいモノはとにかく食べてみるのが私の趣味なのだ。
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2001年 4月14日

昨日、新タマネギは「愛知白」って書いたけど、
べつに“新タマネギ”すべてがその品種ってわけではなくて、
あのペッタンコ種がそうっていうことだった。
普通にまぁるい形の“新タマネギ”は、やっぱりそのまま“古タマネギ”へと成長していくのかな?
タマネギにお詳しい方、いらっしゃいませんか?
ところで昨日の話の続きだが、
ホワイトタマネギというのは、その名の通り真っ白なタマネギで、
キレイだなぁって買ったのだが、
皮を剥いた時点で気付いた。
…中身は一緒だ。
説明書きには「真っ白なのでサラダなどに最適」とかなんとか書かれていたが、
タマネギって普通、皮剥いたら白いモンやないかい!
あんまり皮ごと食べんやろが、タマネギ。
それに納得して買った私も私だ。おバカ。
味とかもべつに変わらなかったし……。
ウ〜ム……。
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2001年 4月15日

タマネギといえば、じっくりじーくりじ〜〜っくり炒めた時の、あの独特の深い甘みがいい。
カレーなどの煮込み料理や、パスタのトマトソースには欠かせない、味のベースだ。
あれは、時間をかけて熱を加えることで、成分的な変化を起こすのだ(と思う)から、
誰も見てないからってズボラして、火を強くして同じ色に仕上げても意味ナシ。
ハッキリよう言わんが、とにかくだんだん糖質に変わってくるのだたぶん。
炒めていると、その瞬間がよくわかる。
急にネットリした感じになり、「あ、変わった」てなもんだ。
そうなると、いきなり焦げるので要注意。
なにしろ糖分だから、カラメルみたいになってくるのである。
ここまで炒めないと、料理のコクにはならない。
前に一度、フランス料理のシェフに「5時間炒めたタマネギペースト」を舐めさせてもらったが、
もうそれはそれは“コクの固まり”って感じで、思わず唸ってしまった。
さすがに家庭で「5時間炒め」は疲れるが、1時間はがんばろう。
コンロの前にまずイスを持ってきて、歌でも唄いながらね。
料理の美味しさが断然違ってくるんだから、根性根性!
たくさん作って、冷凍しておきましょう。
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2001年 4月18日

なんでもかんでも小さなモノが好きな私、タマネギも小さいのがやっぱり好き。
そう、ペコロスだ。
ペコロスといえば、ポトフですな。
なんか私の中のイメージでは、ポトフを深皿に入れたとき、
コロロンと顔を見せるあの小さくて透明なタマネギの愛らしさよ♪……っていうのが、
すごく惹かれるシチュエーションなんやねぇ。
でも、その理想の姿に仕上げるのは、実はけっこう難しいのだ。
透明になるまで煮込むと、あのまん丸な姿を保てなくなる。
けっこう煮くずれするのよね。
でも、透明じゃなきゃぁイヤ!だから限界まで煮込みたいの〜。
ワガママじゃのう。
ところで、ペコロスの作り方(栽培法)ってご存じだろうか?
私は真実を知って気が抜けたのだが、
狭い面積にツメツメにタマネギを植え込むと小さいのが出来る…それだけだそうだ。
つまり、育つ余地がなくて成長が止まってしまってるんやね、気の毒に。
私はまた、茎にズラ〜リとできる芽キャベツみたいに、
何かそういう品種のものがあるんだと思ってたわ。
茎にできるとはもちろん思ってないけど。
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2001年 4月19日

たっけのこーーー!!
筍掘りに行ってきましたぁ!
素晴らしい経験。楽しい楽しい面白いっ!
ここにはとても書ききれないので、別コーナーを作ることにしようっと。
少々お待ちを。
とりあえず、今夜の夕食「筍づくし」を記念撮影。


メニューは、筍ご飯・わかたけ煮・木の芽和え・焼き筍・筍刺身・筍と椎茸の煮物。
土の中から掘り起こしたシーンを思い出しながらいただく食事は、なんとも感慨深いもの。
おいしさも格別!
やっぱり料理って、愛情とか思い入れが肝心だと、改めて実感した。

定番の筍ご飯。なんでこんなに美味しいのだろう……フゥ。
筍の味わいを存分に楽しみたかったので、具は筍のみ。
木の芽の香りだけは、やっぱり必要だけど。
アップにしてみましょ。


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2001年 4月21日

大井川鉄道の旅に行ってきた。
静岡県の大井川に沿って走る、情緒たっぷりの路線だ。
ここはSLが走ることで有名。
茶畑と川が織りなす長閑な風景の中、機関車が正真正銘の“汽笛”を鳴らしながらセッセセッセと走りゆく姿に、
旅情がかき立てられる……と言いたいところだが、
大井川ってけっこうヘンな川だ。
水流はプチプチ切れているし、そこらじゅうをショベルカーが掘り返している。
いったい何の工事をやってるのだろう?
そんなとこ掘り返していていいのか??……などと呟きながら、SLの終点「千頭駅」まで行った。
さあ、実は今回、ここから先を特に楽しみにしてきたのだ。
ここで乗り換えるのは「井川線」という超ローカル路線。
アプトラインと呼ばれるこの電車は、歯車を使って山の急勾配を登るという、
日本で唯一の登山電車なのである。
これは非常に楽しかった!
まず、車両の小ささ。
遊園地のチューチュートレインを思い出させる、赤い小柄な電車が可愛らしい。
初めて見た人はみんな、「うわぁ小さい!」と笑う。
誰もを朗らかにさせる、平和な車両だ。
その朗らか電車は、「キイイィィィーー、キイィィィィーーー!!」とローカル具合を絶妙に演出する奇音(?)をたてながら、
山道の崖っぷちをタラタラタラタラ走ってゆく。
やがて到着したのは「接阻峡温泉駅」。
駅から約5歩の民宿に泊まり、長閑を満喫した。
さて本題。
ここは言わずと知れたお茶の郷だ。
車窓から眺める滑らかな茶畑のラインは、深い緑色に新芽の柔さも美しく、
じつに日本的な情景を私の目に映し込んでくれる。
お茶大好き!な私は、またここで煎茶の魅力を再認識する次第であった。
煎茶の一煎目、二煎目、三煎目のそれぞれの違いは、
日本茶の味わい深さを物語っているかのようだ。
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2001年 4月30日

旅また旅で、すっかり更新が滞ってしまった。
全部書いていると何が何やらわからんようになるので、とにかく大井川の旅についてを書き進めよう。
えーと、煎茶やネ、煎茶。
私は、緑茶では玉露のまったりした甘い口当たりがもっとも好きだけれど、
煎茶独特の「キーン」と脳天に響く香りっちゅうのもまた、たまらなく魅力に感じる。
あの、どこかしら金属的な響きを持った、煎茶だけの味わい。
鋭く、キレのある香り、そしてあまりに爽やかな後味。
ほかにあのような金属音のする香りを、私は未だ知らない。
大井川鉄道は、川根という町をどんどん奥へ入っていくローカル線だが、
この路線一帯が、「川根茶」の産地である。
ある小さなお茶の専門店で、川根茶をごちそうになった。
一煎目、お茶の葉がまだ全く開かないうちに出した、ほぼ透明なお茶を一口だけいただく。
渋味も甘みも一切なく、茶葉の持つ芳香を口に含むのみだ。
鼻の奥にほんわりと、青い匂いの広がる感覚が心地いい。
二煎目、いわゆる本来の美味しいお茶がこの段階だろう。
まるで魔法のように、どこからか濃い甘さが流れ出てくる。
そのまろやかさの中から、例の金属音が「キーン」と脳天へ上がっていく。
「これだ〜!!」……幸せをもっとも感じる瞬間。
そして三煎目、いよいよ渋味が顔を現し始める。
両の頬の裏側辺りに、キュッとした苦さを感じ取るのだ。
じつに“お茶らしい”味わいである。
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2001年 5月3日

何年か前、大井川鉄道の取材でこの地を訪れた時にも、
とてもおいしい煎茶をいただいた。
山の斜面一面が茶畑で覆いつくされた、牧之原の大茶園。
どこまでも続きそうな、緑の線のうねりが何重にも重なり、まさに壮大な景色を見せてくれる。
この茶園に建つ施設で煎れてくださったお茶は、
お茶の産地として名を馳せる静岡の「郷土の誇り」を感じさせる一杯だった。
口に含む前の香りから、舌の上を滑りゆく間、そして喉ごし、後口まで、
複雑な味わいが段階を追って流れ、その度、甘みや青い香りの割合が変化してゆく。
その変化への興味が、気持ちを高揚させもすれば、
煎茶の持つ不思議な効力によって、精神的リラックスを得られもする。
それが魅力なのだ。
いまだにその時の美味しさは、舌の記憶としてハッキリ残っている。
記憶に残る煎茶といえば、もうひとつ、
旅先での思い出がある。
栗の産地で有名な長野県小布施町にある、
急須のミニ博物館「急須コレクション 茶俚庵」でのことだ。
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2001年 5月7日

農業を営むご主人、趣味を生かして自宅の蔵…だったかな…を小さな博物館にしておられる。
駅で手に入れた地図をもとに博物館へたどり着くと、
入り口の扉に「畑にいます」と張り紙がしてある、微笑ましい博物館だ。
展示物はというと、ご主人が収集された急須と湯飲みの数々。
まったく個人的に集められたもののようだが、
なかなかどうして、古いものから新しいものまで、趣ある急須が並んでいて楽しい。
のんびりしたご主人の雰囲気も、長閑な小布施の町に似合っていた。
まぁ座って、と勧められるまま、丸太のイスに腰掛けると、
ご主人が展示物のひとつのような急須でお茶を煎れてくださった。
先に書いたように、一煎目、二煎目、三煎目と、煎茶の美味しさを丹念に味わわせてもらった。
いかにも小布施の名物、栗羊羹に似合う味わいだ。
この、栗100%の栗羊羹っちゅうのがまたウマイんだ〜、これ。
あっそうそう!
ほかにも印象に残っている「美味しいお茶」があった。
九州、佐賀県の嬉野茶だ。
嬉野温泉が、これまたいいぐらいの温泉地なのだ。
“いいぐらい”というのは、大きすぎず、ひなびすぎずっていうレベルである。
心身共に安らげて、なおかつチョイと楽しげで。
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2001年 5月11日

嬉野温泉を代表する旅館のひとつを訪れた時のこと。
そこの女将さんが、またとーってもいい人なのだ。
「泊まって行ってくだされば良かったのに〜」とにこやかな笑顔で出して下さったのが、
嬉野茶の水出し玉露。
冷水に何時間も浸けて出したお茶というのは、なんともまろぉ〜い味になる。
大切なものをそぉ〜〜っと取り出したような、丁寧な味わい。
渋味成分はほとんど出ないまま、甘みや香りを精一杯抽出した、独特のまろみなのだ。
女将さんの人間性からにじみ出るような笑顔も、
そのまろやかな味わいをいっそう深めてくれる。
“印象に残る味”とは、そういう周りの状況と情景を含めて脳裏に焼き付くものだと思う。

さて、嬉野温泉というと、温泉湯豆腐がウマイ!!
私はもう、だーい好きの好き好きィーなのだ!
温泉の湯で作る湯豆腐は各地にあるが、ここのものは、豆腐が完全に湯に溶けてなくなってしまうタイプ。
煮込むほどに、だんだんだんだん湯が白濁して行き、
早く食べないと豆腐の影も形も消えてしまう。
とろけかかったところをいただくと、ホロロと口の中でムースのように優しく崩れる。
そしてまた、豆腐が溶け込んだスープがいい。
ポン酢の入った取り鉢に、白濁してトロリとなったスープを流し込み、
よく混ぜて飲む。
なんともいえない、このまろやかさ〜……。
たまらんねっ。
ここの泉質だからこそ、このおいしさが生まれるのだそうだ。
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2001年 5月12日

温泉の泉質によって、豆腐のとろけ具合が違うって、なんとも面白い!
温泉によっては、とろけるどころか、豆腐が引き締まることもあるようだ。
それはそれでまたおいしいのだが。
嬉野温泉の上記の旅館では、ペットボトル入り温泉と豆腐をセットを販売していて、
クール便で送ってもくれる。
私もそれを持ち帰り、家でじっくり溶かしながら食べた。
ウマイ〜♪
あ、そーだ思い出した。
初めて嬉野湯豆腐を食べたのはもっと以前なのだが、
その時、占いが得意だというその店のママさんに手相を見てもらった。
たしか私、29歳で結婚するって言ってたぞ。
逃したか……クゥ〜〜ッ!
ま、そんな問題は置いといて、と……。
占いで盛り上がってるうち、豆腐がすっかり溶けてしまって、
「あれぇ、ないない、お豆腐がなくなったよぉ〜!!」と嘆き悲しんだものだ。
それと引き換えに、スープがこんなにも美味しく変貌しているとは、つゆ知らず……。(←ダジャレではない)
豆腐が溶け込んだスープとは、まぁ言えば豆乳をダシで割ったようなものだが、
野菜などを煮込んだダシは旨味も深まっていて、コクが違う。
普段、豆乳にポン酢を入れて飲む人はまずいないと思うが、
このスープにはポン酢が何よりもよく合うのだ。
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2001年 5月19日

うぅー、忙しくて更新できなかったー。
さて、温泉の話題になると止まらないのだ、私は。
温泉好きなの、かなりネ。
さすがに、道端に湧き出ている源泉をタライに溜めて、
裸になって浸かるようなことまではしたことないが、
今までに「これはなかなか!!」と思った温泉というと、青森県の恐山だ。
あの墓地の独特の雰囲気を演出しているのが、“硫黄”の匂いと湯気。
言うまでもなく、温泉が湧出しているわけだ。
そして、墓地にイキナリ建っているのである、風呂場が。
覗いてみると、木造の小屋みたいな中に、ただただ普通の湯船がポイッとあるのみ。
案の定、誰一人入っていなかった。
不思議そうに覗いて行く人はいるのだが、さすがにこんなところで風呂に入ろうとは誰も思わないようだ。
だが、入った。
湯船に浸かって記念写真まで撮った。
再び墓地に出た時、自分が“風呂上がり”であることが、とてもヘンな気分だったものだ。
しかし、風呂上がりに食べた「霊場アイス」は忘れられない。
思い浮かべて欲しい。
「いたこ」さん達の小屋を見ながら、墓地の脇で薄ぼんやりと黄色いアイスを食べているシーン。
アイスといっても、正確にはシャーベットなのだが、
この微妙に透明がかった薄黄色が、なんとなく霊界の空気(??)みたいなイメージと重なり、
この場に似合いすぎなのである。
よくぞ名付けた、「霊場アイス」!
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