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【3】  2001年 6月24日〜7月14日
      雑誌の取材 ウラ話大会!


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       常時更新、連続エッセイ

 人生、食べるが勝ち! 

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2001年 6月24日

ここらで好き嫌いの話はちょっと置いといて、と。
原稿の締め切りからも解放されたので、お仕事の裏話でも。
私の現在の仕事はフリーライター、主に雑誌の記者というヤツをやっている。
メインのジャンルは、旅と料理。
こう言うと必ず言われるのが、「いいねぇ、タダで旅行に行けて、おいしいモン食べられて〜」である。
いやホント、ありがたい事だと感謝しております。
ハイまったく。
しかし、じつを言うと、取材中は毎晩コンビニのおにぎりだったりする。
ひどい時は、かりんとう10本ほどだけとか、おんなじ饅頭3個だけとか、最悪は“食事抜き”だとか。
最近でこそ、こういう事態はほぼ無くなったが、
駆け出しの修業時代ともいうべき約4年間は、ほとんどこうだった。
旅行ガイドブックのレポーターというのは、
その本の製作に当てられる予算の額によっては、なかなかどうして悲惨なのだ。
異常なほど疲れて、安いビジネスホテルに辿り着き、
暗〜〜い照明の下、ベッドに饅頭を並べてひとり食べていると、
あまりに虚しく切なくなって、涙がポロポロこぼれたりするのである。
まさに、これぞ修行!!ってモンだ。
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2001年 6月25日

苦労話はアホほどあって、とても書ききれない。
なにしろ、同業者にも「ウーッッッッソオォ〜〜!」と仰天されるほどの大変さだった。
例え同じシリーズの本を作っていても、
「とにかく低予算&とにかくハードスケジュール」な我々の仕事場は、
体力と精神力の限界に挑む…までは行かずとも、それに近いモノがあった。
いったん取材旅行に出たら這ってでも現地を回り、寝込んでいても原稿だけは仕上げる。
おかげでいい下積みになったってなもんだ。
しかし、いつもいつも苦しいばっかりじゃぁない。
たまにはグフフゥ〜と思わず笑い顔になるような、美味しい思いをさせてもらうこともあったのだ。
ホテルのフルコースディナーをご馳走になったり、
旅館の社長さんに名物料理をご馳走になったり(ご馳走になってばっかり…)、
おみやげを頂戴したり。
いい思いをしておいて、贅沢を言ってはならんのだが、
<1> ホテルのフルコースディナーを一人きりで食べるのは、身が縮む。
…というのも、とある大規模な施設のコテージで宿泊した時のことだ。
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2001年 6月26日

取材の時はとにかく、大荷物を持って歩きまくるので、
とてもオシャレなどしていられない。
いつもTシャツにジーパン、スニーカーという出で立ちだ。
この格好で、その大規模な施設を持ったホテルのレストランに行くことになった。
フルコースディナーをご用意しております、とおっしゃるのだ。
しかし間の悪いことに、その日はなんということか、よりによってものスゴイ大嵐だった。
ああ、嵐を呼ぶ女…。
私の宿泊するコテージからレストランまでは遠く、カートを運転して行かねばならない。
カートは、よくゴルフ場にあるような、屋根のみで外枠のないアレだ。
「こりゃ濡れる……」
しかし、レストランへ行かぬ限り食事にはありつけないので、とにかく行った。
到着した時には、案の定ズブ濡れ状態。
おそるおそるレストランの扉を開けるとすぐ、
スカッとタキシードを着こなしたホテルマンが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
ホテルマンのにこやかな笑顔が、いっそうこの場の緊張感を増幅する。
「上着をお預かり致します」
うっ……困った……。
こんなズブ濡れのヘロヘロ上着、この人に渡すのか……。
しかし、イスの背に引っかけておくワケにもいかんので、仕方なく渡す。
「どうぞこちらへ」
またよりによって、ど真ん中のでっかいテーブルへと導いてくれるようだ。
泥だらけになったスニーカーを隠すように、私は小股でチョコチョコ歩いて行った。
「どうぞ」
イスもひいてくれる……ハァ。
「す、すみません」
座りながらつぶやいた言葉は、もはや「エクスキューズミー」ではなく、
「アイムソーリー」の方だった。
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2001年 6月27日

まわりを見回すと、窓際の席はほとんどカップルばかり。
揺らめくキャンドルの灯を挟んで、ワイン片手に優雅なディナータイムを楽しんでいる。
--仕事なんだし、まいっか…。今夜は一人で楽しもうっと!
と開き直ったところへ、美しく盛りつけられた前菜のひと皿が運ばれてきた。
「あ、ども…」
中途半端にモゴモゴ言いながら、ソロ〜リとナイフ&フォークを手にとり、
切って、口に入れる……まではいいのだ!
問題は、噛んでいる間どこを見るか、である。
これには本当に困った。
まわりのお客さんをジロジロ見られないし、
目の前の花をジーーーッと見つめてるのもおかしいし、
ホテルマンと目が合って「ハイッ」と瞬時にここへ来てくれたらタイヘンだし……。
仕方がないので、いかにも「取材のため」という態度を装い、
料理をつっついたり裏返したりして素材を確かめてるフリなどしてみたが、
あんまりやってると、やっぱり不審だ。
ステーキなんかに至っては、噛む時間が長いからもう大変。
視線の持って行きどころが見つからず、2、3度噛んではゴックンと飲み込んでしまった。
それだけではない。
ちょうど私の視線に入るギリギリの辺りで、
タキシードのお兄さまが私の食事の進み具合を見張っているのである!
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2001年 6月28日

もちろん、お兄さまに悪気はない。
皿を引き、次の料理を出すタイミングを計ってくれているのである。
しかし、一人で神経を研ぎ澄ましている私の脳には、
「見てるぞー見てるぞー見てるぞー」という電波がジンジンと送られてくるのだ。
目に見えない電波攻撃にビビリながら、そぉ〜っとフォークを皿に置く。
--来るかな……。
約2秒の間があり、コツ、コツ、コツと足音。
お兄さまはきっちりやって来た。
「失礼いたします」
「あ、ど、ども……」
ごちそうさまです…と言いかけて止める。
フルコースなのに一皿ずつ挨拶してたら、何度言うことになるか。
さて、次の皿が来るまでがまた大問題。
今度はつっつく料理と視線の行き場がないばかりか、
手に持つモノさえもない。
両手を膝に置き、背筋をピンッと伸ばしてるのもなんか不自然だし、
そうかといって猫背にしたらみっともないし……。
ことごとく悩む、とことん小心者の私であった。
ま、なんやかんや言いつつも、
結局はすべてきれいに平らげたのだが。(どこが小心者?)
帰りに手渡された上着は、気のせいかちょっとキレイになっていた気がする。
ドキッ……あまりのみすぼらしさに、ブラシでもかけてくれたのではなかろうか……。
そんなこんなで、長〜い長〜いディナータイムはついに終了の時を迎えたのだ。
あ〜、身が縮んだ!!
再びカートに乗り込んだ私は、相変わらずの嵐の中で、ひとつ大きく深呼吸をした。

だが、この後あのような悪夢が待っているとは、誰が想像し得ただろう。
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2001年 6月29日

コテージに帰り着き、とにかくパジャマに着替えた私は、
窓の外で吹き荒れる雨風にビビリながらテレビをつけた。
これでちょっとは嵐の音をごまかせる。
大きなベッドが2台、ソファセットもあるし、感じいいバスルームもついている。
一人で泊まるにはあまりに広く、あまりに淋しい部屋だった。
しばらくボーッとテレビを見、私はおもむろにトイレに立った。
そこで!……出たのだ。
何げにトイレットペーパーを引っ張ったその時、一緒に引っ張り出されてきた物体。
「!!」
クモだーーーーっ!!!
クモと私は、同時に「ギャーーー」と叫びながら走った走った!
幸い、めいめい違う方向へ走ったので、
私は兎にも角にもトイレのドアをバンッと閉め、それをこの場の解決手段とした。
トイレは、封印された。
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2001年 6月30日

外は相も変わらず雨風が吹き荒ぶ。
夜更けにはまだ早い。
トイレに行きたくなっても、この嵐の中、
カートに乗ってさきほどのレストランまで行くわけにもいかない。
さて、どうすべきか……。
「寝よう」
これしかない。私に残された唯一の手段は、寝てしまうことだった。
で、寝た。
なかなか思うように寝つけるものではなかったが、ムリにでも寝た。
翌朝、私がレストランに一番乗りしたことは言うまでもない。

食べ物話からはちょっとズレてしまったが、次。
<2>旅館の社長さんに名物料理をご馳走になるのは、身が縮む。
またソレか…って思ったアナタ、ごめんネ。
いやぁしかし、そんな場面にてんで慣れてない私、
座敷で社長さんと向かい合わせに座って、
緊張しないワケがなかろうってんだい。
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2001年 7月2日

またまた大〜きな旅館……というか、ホテルへ取材に行った時のこと。
何のアポイントもなく、イキナリ夕方頃に訪ねて行ったのだが、
行ったとたん社長さん自らがお出ましになり、
「やぁやぁ、今晩はウチに泊まっていって下さいよ。いやぁいいからいいからいいから」
「あ、あのぉ」と口ごもる私に構わず、社長さんはサッサと宿泊の手配をしてくださった。
「いや実は、もう民宿を予約してあるんですよ」と私が言うと、
「どこの民宿? あ、そこならすぐ近所だ。
○○さん(私と一緒に来て下さった地元役場の観光課の方に向かって)、ちょっと民宿まで行って、
彼女の宿泊キャンセルしてきて。キャンセル料はウチから払うから」
へ!? なんてゴーインな……。
民宿にもドタキャンで迷惑かけるし、親切にここまで連れて来てくださった観光課の方を、
まるでパシリに使うなんて、いいのかそんなの……。
しかし社長さんはすでにご機嫌上々。
私が口を挟む間などまったくないまま、私のための部屋のキーが用意された。
「夕食を用意させますから、まぁ部屋でゆっくりしててくださいよ」
朝日の見える部屋をおとりしますから、と決めてくださったのは、
広くてかなりいい部屋だった。
「いいのかなぁ……」
しばらくすると、電話が鳴った。
夕食の準備が整ったので、お座敷の方へお越しくださいとの連絡だ。
かくして、社長さんとの一対一の夕食会が始まったのである。
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2001年 7月3日

社長さんはとてもいい方で、ほんとに良くしてくださる。
でも、お膳いっぱいにご馳走が並べられたお座敷に、
まったく唐突に社長さんと私が向かい合って座って……まるでお見合い状態。
「いやぁ、よく来てくれました〜。いつも本に記事を載せてくださって、ウチも喜んでるんですよ」
「いやぁ、こちらこそお世話になっておりますでござりますです……」
まだ20代半ばの私、失礼のない会話をせねば、と必死に言葉をさがす。
そこへやってきたのが、ここの名物料理「マグロのかぶと焼き」。
これが、すっごい迫力!!
マグロの頭部を丸ごと焼いたものなのだ。
「この大きさのモノを焼けるオーブンがなくて、かぶと焼き専用に特注したんですよ」
「ハハァ!」
デカイ。そりゃぁ、オーブンも特注だろうて。
「最近、話題のDHAですよDHA。頭が良くなるって、テレビでも言ってるでしょ」
「ホホゥ!」 (その時、本当に話題でした。)
「目玉の周りが特にねぇ、目玉ですよ目玉!」
「ヘヘェ!」
「○○さん(今度は仲居さんに向かって)、いっちばんイイ所を彼女に差し上げて」
「はいはい社長」
なんかもう、大切に扱ってくださってまぁ、恐縮するのなんのって。
マグロのバカでっかい目ン玉を、ドッドーンと皿に盛りつけてくださった。
「そう、そこそこ!マヨネーズつけて食べてごらん。美味しいよぉ〜。賢くなるよ〜」
「ハ、ハイッ」
これ食べて、賢くなって出直そうかな……。
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2001年 7月5日

目玉といっても、眼球にグリグリしゃぶりつくワケではない。
眼球を包んでいるドロ〜ンとした部分と、その周りの身が“おすすめポイント”なのだ。
鯛の目ならよく食べるが、こんなドデカイものは初めてだ。
幸い、私は高校時代に、生物の実験で「牛の目玉の解剖」を経験していたので、
ここで失神することはなかった。
「す、すごいですね…」
どこから箸をつけていいものやら戸惑っている私を見て、
仲居さんが身をほぐしてくださった。
「コレつけてね」
小鉢に山盛りにしたマヨネーズが差し出される。
マグロの目玉にマヨネーズ……なんとも新鮮な組み合わせ!
「ウチではこうやって食べるんですよ。これが合うんですよー。美味しいよ、ホレ、ホレ!」
完全に社長さまペースに巻き込まれ、言われるままに食べてみた。
これが、ウマイ!!
社長さん、おっしゃる通り!
ウマイんだけど、多い。
量が多いのよ。
ホテルの夕食として出される、普通の会席料理(それも豪華版)に、
プラス、マグロのデカ頭だ。
多いよーっ!!
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2001年 7月6日

しかし、せっかくのおもてなし。残すなんてとんでもない。
結局、社長さんと私の2人で、
マグロのデカ頭右(もしくは左)半分ほどもたいらげてしまった。
もちろん、会席料理を全部食べたうえでのこと。
空腹も辛いが、異常な満腹もカナリ辛い…。
「ほんとにほんとーに、ご馳走さまでございました」
ああ、日本という国はまったく贅沢だ。
だが、この後あのような悪夢が待っているとは、誰が想像し得ただろう。
(つい一週間前に聞いたフレーズですって? 気にしない、気にしない)

マグロのDHAの効き目がこれほどまでとは、いやはや知らなかった。
どうやら私は、賢くなりすぎてしまったらしい。
いやそれとも、
賢くなろうなんて願望自体にムリがありすぎ、拒絶反応が出たのか。
次の日の夜、突然ものスゴイ高熱に襲われてしまったのである。
機嫌よくチェックアウトしたまでは良かったのだが、
だんだん身体がだるくなってきて、寒気がして……。
「やっぱりあの目玉か……?」
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2001年 7月7日

今から考えたら、
マグロ摂取後の私の行動に、思い当たるフシがないでもない。
あんなに身体がしんどくなるまでバカ食いして、
社長さんに勧められるまま日本酒を呑んで(私は決して酒に強くない)、
食後すぐ、真っ赤な顔のまんま大浴場に行って、
サウナを独り占めできたのをいいことに、目眩がするまで入ってしまって、
社長さんが「明日の朝日は○時○分だから、部屋から見えるからね」っておっしゃったので、
寝不足にもかかわらず早起きして朝日を拝んで、
「ぜひウチのホテルの周りの散策道を歩いてみて」とご紹介くださった
山手の道を早朝からテクテク一巡りして、
またその日も猛暑の中、一日中ずっと炎天下を必死に歩き回った、
…この点アタリが問題だったようにも思う。
簡単に言うと、アホだ。
ま、要するに、DHAの効き目に即効性はなかったということだ。
少なくとも私の場合は。
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2001年 7月8日

機嫌良くチェックアウトしたものの、身体が異常にだるく、
なんだか胃が気持ち悪くて食欲がない。
日も暮れたので早めに仕事を切り上げ、昨日とは打って変わって安いビジネスホテルへと向かった。
とにかくベッドに寝ころんだのだが、身体が熱い。
「これはヤバイかも……」
何も口にする気が起こらず、とりあえず寝たのだが、
翌朝目を覚まして、自分の身体の燃えるような熱さに驚いた。
「あちゃぁ…………」

しかし、その日はどうしても休めない。
一旦、新幹線代まで使って取材に出た限り、日を改めて出直すなんて許されないし、
それに私には、帰る日を絶対に遅らせてはいけない特別な理由があったのだ。
だから今日、絶対にノルマをこなさねば……!
しかし症状はひどく、一歩足を踏み出すたびにウッとなる。
「歩けない……」
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2001年 7月9日

頭がボーッと霞む。賢くなったどころではなかった。
その頭をなんとか働かせて、レンタカーを借りようと思いつき、
会社に電話で許可を得てレンタカーを借りた。
(予算の都合もあり、レンタカーを借りるのには非常に厳しいのだ)
ハンカチで口を押さえながらレンタカーの申込書を書く、不審な私。
とにかく車のシートに腰を下ろし、クーラーの風を強にして、おでこに当てた。
はー、車を借りたのは正解だぁ。
しかし、取材先について車を降りるとウッ!一歩進んではまたウゥッ……!
ハンカチをギュッと口に押し当て、
ゆる〜り、ゆる〜り、3歩進んでは胸を両手で撫で撫で。
「がんばれぇ〜私」

身体はフラ〜リ、視界はユラ〜リ、
かなり挙動不審ながらもなんとか仕事を済ませて、
レンタカーを返し、駅前のコンビニでプリンを一個買ってホテルに帰る。
念のため持ってきていた解熱剤を飲むために、無理矢理にプリンを3口ほど食べ、
そのままベッドにバタンキュー。
うまく薬が効いてくれたようで、夜中にびっくりするほどの汗が出て、
次の朝にはやっと熱がひいたのだった。
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2001年 7月10日

ホッと胸を撫で下ろし、高熱後の妙な浮遊感を味わいながらホテルを出た。
すると突然、それまでの飲まず食わず状態を思い出したかのように、
脳の中で「のど渇いたあー!エネルギー足らんーー!」という叫び声が爆発した。
と、目の前に自動販売機があるではないか。
私は古びたその自販機に飛びつき、震える指で小銭を入れた。
「今の私に必要なのは……」
のどの渇きを癒し、糖分の補給もでき、胃に刺激が少なくて、
なおかつこの“腹ヘリ状態”に対応できるもの……。
その時! 「グレープジュース・つぶつぶゼリー入り」というタイトルが目に飛び込んできた。
「こ、これだっ!」
こんなに今の私の欲求に見合う、気の利いた商品がここにあるなんて!
それも、ほんとに古びた自販機の、たった6種類ほどのひとつなのである。
赤ランプ輝くそのボタンを迷わず押し、私は誰か見ていたら驚くほどの勢いで飲み干した。
そして間髪を入れずもう一本買って、また飲み干した。
「生き返ったあ!」
この時のジュースのおいしさは、一生忘れない。
つぶつぶゼリー入りジュース、万歳!!!
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2001年 7月11日

こうして、つぶつぶゼリー入りジュースで場をしのいだ私だったが、
まだまともな食べ物は喉を通らなかった。
結局なにも口にすることなく夕方頃まで取材先を歩き回り、
案の定フラフラになったその時。
最後の取材先として訪ねた、いかにも贅沢そうなホテルで、
またもや私を救ってくれるものに出合ったのだ。
それは、フランス料理のコースを締めくくる、デザートの盛り合わせ。
バニラアイスとみかんの果実を美しく盛りつけた、上品なひと皿だった。
写真撮影した後、シェフが「どうぞ食べてくださいね」と勧めてくださったのである。
むかつき感のある時、唯一、口に出来る食べ物と言えば、アイスクリームだろう。
熱が出た後、まず口にする食べ物と言えば、みかん以外に考えられるだろうか。
アイスクリームとみかん、今、私の求めているものは、これしかない!!
もしやシェフは、私の状況をすべてご存じだったのではないだろうか。
今の私のために作ってくださったようなこのひと皿。
ああ、神よ、仏陀よ、シェフ様よ!!
感謝の気持ちで胸いっぱいになりながら、
その冷たくも心に温かく染みるひと皿を大切にいただいた。
シェフは私の恩人だ。本当にありがとう!

こうして、私の心に一生刻み込まれるであろう、
あまりにも印象深い数々の食べ物に出合えた旅は終了したのだった。
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2001年 7月12日

“終了”と言っておいて続きを書くのもなんだが、
先ほどの“どうしても帰る日を遅らせてはならない”その理由を記しておこう。
それは、帰宅日の夜に行われる、あるライブに行くことだった。
なんだそんな用かい、と思われそうだが、
これがただのライブではない。
今まで自分の夢を重ねるかのごとく、
身も心も入れ込んできたバンドがついに解散、
泣いても叫んでも今夜がラストライブなのである。
ああ、もう2度と彼らの姿を見ることは出来ないのだ。
だから、なんとしてでも行かねばならぬのだぁーっ!!
……と気合いを入れ直す私であった。

夕方、私はふらふらと家に帰り着き、
荷物を置いて服を着替えて、またふらふらと大阪まで電車に揺られて行った。
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2001年 7月13日

しかし! そのライブはオールスタンディングなのだ。
おまけに、なぜかこのバンドはいつも、音量が通常のロックライブよりも大きい。
「……ついに倒れてしまうかも……」

視界がポーッと前後左右に揺れ、命の危機を感じながらではあったが、
我が不安は的中することなく、熱いラストライブは無事に終わった。
でも最後に、
惚れ込んでいたヴォーカリストさまにしっかり握手してもらったのー!
エヘ〜☆(ミーハーな奴……)
そのせいか、帰り道ではすっかり体調が良くなっていた。
なんや、ただの“単純なヤツ”やん……。

♪町はーふーへほーガレージへー
 ひほーっはー夢ひー乾杯ほ〜♪
(ここでクイズです : さて、私がファンだったバンド名は何でしょう?)

鼻歌を口ずさみながら帰りの電車に乗り、
今度こそ長い旅路は終わった。
もう2度と、こんな無茶はしないだろう。
若気の至りではあるが、本当に心に残る取材旅行だった。
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2001年 7月14日

えーっと、3つ目の項目は「おみやげを頂戴する編」だったよな、と……、
あ、もう裏話、飽きた?
じゃあ6行で済まそう。
酒どころと言われる町へ行った時のこと。
一日で5軒の酒蔵をまわったのだが、皆さんとーっても親切で、
行く度にお酒を一本みやげに持たせてくださった。
さすがに一升瓶ではなかったのだが、
一週間分の旅支度と、大量の書類と、酒瓶5本がどれほど重いか、想像してみて欲しい。
駅の階段をどうしても登り切れず、途中で座ってしまったのは言うまでもない。以上。

この酒どころというのが、東広島市。有名な「賀○鶴」の蔵元などがある町だ。
ここらで裏話は一旦終了して、酒の話にしましょう。
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